革命以前から
社会主義政党である
キューバ人民党に入党するなど、フィデルよりも当初から
共産主義に傾倒していたとされる。
バティスタ独裁体制打倒のための闘争には当初から参加し、革命後は国防相に就任。革命以来、軍内での基盤が堅く、
アメリカとの闘争等では兄よりも強硬派とされている。
1962年の
キューバ危機では最後まで強硬論を兄に進言し続けていた。
チェ・ゲバラが
1965年にキューバを去った遠因に、ラウルとの確執があったとの見方もある(ゲバラをフィデルに引き合わせたのはラウルである)。1965年の
キューバ共産党結成以来、ナンバー2の第2書記を務める。
1976年の現憲法制定で国家評議会第一副議長。
1986年に兄は初めて「後継者はラウル」と明言。
1994年7月26日の革命記念日で兄に代わって初めて演説を行った(ただし、カリスマ性では兄に遠く及ばないといわれる)。その後
1997年の党大会で正式に後継者に指名された。近年はかつては激しく対立した
中国との関係改善を進め、自らも代表団を率い訪中。2008年には
胡錦寿国家主席の訪問に敬意を払った。
国家評議会議長に就任するまではキューバ共和国国家評議会第1副議長、閣僚評議会第一副議長(第一副首相)、キューバ共産党中央委員会第2書記を務めていた。近年は
スーツを着用することも多かった兄とは違い、人民権力全国会議(国会)等の公の場では一貫して軍服姿を通していたが、2006年に兄から暫定的に権限を移譲されて以降、非同盟諸国首脳会議等の場でスーツ姿で登場するようになった。
議長就任にあたり、「国防などの重要な事項については兄の助言を求める」と述べ、議会もこれを認めた。しかしラウル自身も高齢である事から、ラウルの後継が早くも取沙汰されている(もっともラウル自身も議長就任演説で世代交代の必然性については言及している)。