日本留学中は、1918年5月1日には靖国神社の大祭を見物し、「それを見てはなはだ大きな感慨を催す」、6月2日にも『游就館』を訪れたことも日記に記すなど、靖国神社に親しみを抱いていた。またその頃、周恩来にインタビューした東京日日新聞記者神近市子によれば、「下宿で新聞や本を読み、外へ出る時はかすりの着物に兵児帯をしめ、ロシア風の帽子をかぶったりしてなかなかおしゃれだった」(『日本人の中の周恩来』)と、日本の風俗を受け入れていた様子が描かれている。
父の死亡により一度中国に帰るが、再来日し、
京都大学の聴講生となる。ここで酒びたりとなり、友人にたしなめられ帰国した。帰国後、
南開大学文学部に入学するが、学生運動に熱中して一度も通学することなく中退。
五・四運動に参加し、逮捕されている。