天保6年(1835年)
2月19日、熾仁親王は
京都御所北東(艮)の有栖川宮邸内において、幟仁親王の第一子として誕生した。生母の佐伯祐子は通称を嘉奈といい、
京都若宮八幡宮宮司の佐々祐條の娘であった。実はこのとき、父である幟仁親王はまだ正室の二条廣子と結婚する前であり、熾仁親王は後の
嘉永元年9月(
1848年10月)に廣子と養子縁組を行っている。熾仁親王の
胞衣は当時の風習により
出世稲荷神社の境内に埋め、その上には松の木が植えられた。
お七夜の儀に際し、「歓宮」の幼名を授けられる。